「古代から暮らしやすい土地だったから町内に前方後円墳が3つもある」説
こんにちは。移住支援コーディネーターです。
旅行や地方移住を検討するとき、気候・風土をはじめ、その地域がどんなところなのか気になるのではないでしょうか。
今回は、
「古代から人が住んでいるところは、そもそも暮らしやすいところなのでは?」
という視点でお話ししたいと思います。
鹿児島県県本土で一番小さなまち、東串良町(ひがしくしらちょう)の場合
まちの面積は、27.78㎢。だいたい品川区くらいの広さです。
そんな東串良町ですが、地名の「くしら」について『町制施行60周年記念誌』『80周年記念誌』には、こう書かれています。
串良の語源には諸説がありますが、意味するところは、髪梳(くしら)が神の名づけられた神号であるということ。なお、現在使用されている串良の表記は平安中期から末期にかけて、荘園の呼び名として「串良院」と記録されたものが今日まで至っているようです。
また、別記には「槵羅」(くしら)とあり、これは霊峰高千穂の槵觸(くしふる)の峯から語意を推定し槵羅(くしら)が君主のいる場所を意味したものであるとされている。
これらの「くしら」表記説から今日見られる古墳群がまさにそれら君主や大豪族の居住、文化の遺跡であることがあらためてしのばれる。
諸説あり、語源に定説はないようですが、この地域には古い歴史があり古代から有力な君主や豪族がこの地に住んでいたようです。(文献などに興味のある方は、こちら(角川地名大辞典)にも記載があります)
そんなまちの古い歴史の中で、現在まで伝わるもののひとつが、古墳です。
古墳時代(3世紀末~7世紀末頃)
唐仁古墳群は、1934年に132基の古墳が国の史跡に指定された、鹿児島県では最大、九州では宮崎県の西都原古墳群に次ぐ2番目に大きな古墳群です。
古墳時代は今から約1300~1700年前です。歴史や古墳が好きな方には、ぜひまちを巡っていただければと思いますが、観光や移住を考えている方にもおすすめできる、まちの特徴をご紹介します。
高低差が少ない
町内を移動していると、都会とは違う空の広さを感じます。
この平坦な地形によって
・日照時間の長さ (→外で活動できる時間が長い。洗濯物も〇)
・農作物のできやすさ(→安く手に入りやすい。ご近所から頂くことも)
・移動のしやすさ (→上り下りが少ないので楽)
という特徴があると思います。
大隅半島のほぼ中央部
ご覧の通り、こんな感じでだいたい真ん中にあります。
日々の暮らしに必要なたいていのものは町内で手に入りますが、時には町外におでかけすることも出てきます。
そんな時も半島の中央部なので、あちこちに移動がしやすいです。
以上、今回は東串良町の古墳と暮らしやすさについてお届けしました。
移住、二拠点居住などに興味のある方はこちらも是非ご覧ください。